ゴーン氏逮捕の”真相”を考えてみる

ゴーン氏逮捕の”真相”を考えてみる

※これは2018年12月5日の記事です。

12月に突入し、今年も残り1ヶ月を切りましたね。

日本では日に日に寒さが増していますが、私は今回、オーストラリアのゴールドコーストに来ています。

南半球にあるオーストラリアは昼間になると暑いくらいですが、湿度は低いのでとても過ごしやすい気候なんですよ。

ちなみに、今回のオーストラリア訪問はバカンスのためにやってきたわけではありません。

我が家の次男がオーストラリアの高校進学を希望しており、実はその受験のために訪れました。

実際に学校を訪れて、授業風景なども拝見しましたが、そこで改めて感じた「日本との違い」についてお話していきます。

さらにもうひとつ、先月末に世間を大きく賑わせた「ゴーン氏の逮捕騒動」についても併せて、私が感じた内容をお伝えしてみました。

私なりの見解について、深く語っていますので、ぜひ最後までご覧になってくださいね。

オーストラリアと日本の教育事情

日本人からしたら意外だと思いますが、オーストラリアの高校受験では、主に面接くらいしか行われません。

さらに実は、大学進学についてもほとんど試験がないんです。

そのためか、オーストラリアには大学進学が偉いとかスゴイとか、そういう感覚がないんですよね。

本当に勉強したい人だけが、大学にいくような印象があります。

さらに高校の授業内容ですが、必須科目はなんと、国語しかありません。

これには日常の英会話だけでなく、論文や新聞を難なく読めるようにする目的があり、普段の生活はもちろんですが、世界情勢などの知識も支障なく得られるようにと、国語を重要視しているそうです。

それ以外の科目については、本人の興味関心から好きなものを選択できます。

日本のように全員が同じ科目をとる必要はなくて、コンピューター関係とかデザインとか、自由に選ぶことができるんです。

このように、オーストラリアの教育はとても合理的で、社会に出てから役立つものを手に入れる環境を一番に考えています。

日本だと集団意識や画一的な部分を重要視しているため、こうしたオーストラリアの自由な教育事情には、驚くばかりでしょう。

もちろん日本の教育も、社会でやっていく上で大切な要素ではあります。

しかし、それらを重要視することは、個性を伸ばせなくなることにもつながってしまいます。

たとえば美術のセンスを持っていたとしても、日本ではなかなかその能力を伸ばすことができないのが現状です。

むしろ、日本なら主要5教科(国社数理英)に注力するほうが良いとされますよね。

その分、日本人の学力レベルが高いのかといえば、実は、日本よりオーストラリアのほうが高いレベルにあるといわれています。

コミュニケーションを取るために必要不可欠なツールとなる「国語」をきっちり重要視しながら、個性を伸ばす「自由」な教育方針を持っているオーストラリアの教育事情は、結果的に子どもたちの学力向上につながっているようですね。

私が「ゴーン氏の逮捕騒動」に覚えた違和感

さて、このように考えながらオーストラリアに滞在していた私ですが、その間、日本では大きなニュースが話題になっていました。

日産自動車の前会長、ゴーン氏の逮捕です。

今回、ゴーン氏の疑惑として挙がっている容疑は大きく3つありました。

ひとつは役員報酬の過小記載。

そして、株価連動報酬というものに記載がなかったこと。

最後に、会社の資金を私的に流用したこと。

私はこの3つの容疑とゴーン氏の逮捕騒動を聞いて、とても不思議に感じました。

すべて事実だとすれば、金額が大きいこともありますから、大ごとだとついつい感じてしまいがちですが、3つのうち2つの容疑は、記載が誤っていたというだけの可能性が十分にあります。

それなのに本人に事情を聞くことも無しに、それが理由でいきなり逮捕に至る、というのはやはりどこか引っかかるものがありました。

会社の資金を私的流用したという容疑も、事実だとすれば会社として追求したい気持ちはわかります。

しかし、それならこの事実は、株主総会で糾弾されるべきなのではとも思います。

会社は、全ての権限を持つ株主と、経営者、さらに従業員から成り立っています。

そのため、株主総会にて株主たちから「どういうことだ」と追求されるのが本来の流れではないでしょうか。

もちろん、そこでゴーン氏の行ったことが明らかになった時、結果として逮捕されるということならわかるのですが(株主総会として刑事事件化を目指す形)、いきなり逮捕された今回の騒動は、ちょっと可哀想な気もしています。

ゴーン氏は今回の容疑について否認しているため、本当のところはわかりませんし、今後、裁判になったとしても「本当の事実」が明かされるかどうかは不明です。

事実ではないけど、事実として認めざるを得ない部分や、妥協点を見つけて「この部分は勘弁してやろう」といったことは、世の中往々にしてあるものです。

たとえば、日産の幹部の人が彼を貶めるために、あえて記載漏れが行われていた可能性だってゼロではありません。

または、いま日産の株価は下がり続けていますが、その後だれかが会社の買収を企てていて、そのキッカケとして今回の騒動が起きた……というのもあり得ない話ではないでしょう。

今後どのような展開が待っているのかはわかりませんが、とりあえず、私はこれからもゴーン氏に注目していきたいと思います。

俯瞰した、広い視野で捉えること

年末に大きな話題となってしまった「ゴーン氏の逮捕騒動」は、ニュースで見聞きしたままに受け取っていた方も少なくないでしょうね。

そんな方にとって、今回私が語った「違和感」は、新たな視点で考える糸口になったことと思います。

これは、最初にお話した「教育事情の違い」とも通じるものではないでしょうか。

日本の中だけで過ごしていたら、日本の教育現場がとても素晴らしいものだと感じていたかもしれません。

しかし一歩、世界に飛び出して日本を眺めてみれば、今まで常識だと思っていたものすら、疑問に思えることがあるのです。

ただ与えられるままに、情報を素直に受け止めるのではなく、俯瞰した目線で情報を解釈することが何よりも大切だというわけですね。

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